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2005年10月 8日

林信吾『しのびよるネオ階級社会──"イギリス化"する日本の格差』

education

デビッド・「ベッカム様」が来日した時、明らかに入れ墨を隠すための不自然なプロテクターのようなものを腕に巻いていたのを思い出した。
「隠すくらいなら入れ墨しなきゃいいのに」と思ったその時の疑問が、この本を読んで解けた。
英国でサッカーはワーキング・クラス(労働者階級)の娯楽であり、どれほど巨額の年俸をとるスター選手であっても、ベッカムは「労働者階級」の英雄であり、労働者階級の英語を喋り(あの甲高い声で)、腕に入れ墨をほどこすのも、入れ墨を忌み嫌うような「階級」ではないことの証しなのだそうだ。

来日した時に隠していたのは、日本での「入れ墨」は特殊な業界に限られていて、サッカー好きの「よい子」たちに悪い影響を与え(教育上ヨロシクない?)、ひいては貴公子然とした美形の彼の人気にも影響する、と忠告した人、もしくは彼の宣伝効果にマイナスをつけたくない人がいたのだろう。

それはともかく。
この本で著者が述べているのは、大英帝国が厳然とした「階級社会」であるということと、日本社会がまるでそれを手本にしているかのような現状への批判である。。
在英10年の著者の見聞と分析は、事実の裏付けがあって説得力がある。
(先日読んだ同じ著者の『昔、革命的だったお父さんたちへ』(2005年9月23日号)については、「批判する主体」への問いが欠けていると評したのだが、この本はまったくその反対で、小・中学校時代の「個人史」まで含めて、全文が「批判する主体」への問いかけと言っても過言ではないほどである。)

例えば、ロンドンの「日本人社会」の馬鹿馬鹿しい「階級制度」はこう紹介されている。

《具体的に言うと、ロンドンの日本人社会にあっては、外交官とか、民間企業でも古くから進出している銀行や大手商社の駐在員が幅をきかせている。これに比べると、航空会社とかサービス産業は、たとえ大企業でも、若干格が落ちるとされる。さらに、研究者や留学生はまたちょっと特殊な存在で、一方、日本レストランなどの「業者」は、みなさんに頭を下げてなんぼの存在だと見なされている。》
驚きはするが、さもありなんと思えるところが情けない。
そういえば、外交官が税金を湯水のように蕩尽して、プール付きの大使館か何かを建てたニュースも思い出した。
異国の地でも、同じ日本人同士が、わずかな差に固執して差別し合うムラ社会しかつくられないのも日本人らしいのかもしれない。

そして、ロンドンのムラ社会は、日本の縮図でもある、ということだ。
「横並び」とか、「一億総中流」と言われてきた日本社会は、もはや過去のものである、と著者は言う。
教育の機会は「経済力」によって明らかな差が生まれ、「学ぶ」機会そのものが均等ではなく、不平等が生じていて、身につけるべき「文化」の質そのものに、最初から差がある、という。
こうした見方は、以前に取り上げた山田昌弘『希望格差社会』(2005年1月19日号)や苅谷剛彦をはじめとした多くの人々が指摘してきたことと共通する。

《本当に「機会平等、結果不平等」なのであれば、それは健全な競争社会と呼べるのではないか。》
《「競争の結果、不平等が生じる社会」と、「はじめから競争の機会すら与えられない社会」と、一体どちらがよいのか》
「一所懸命に努力すれば、報われる」という社会が、健全な社会ではないか、と著者は言う。
確かに、そこには競争があり、歪みが生じるかもしれないが、「努力しても報われない」社会、「努力する甲斐のない」社会、すなわち「階級社会」よりはマシなのではないか、と言うのだ。

英国のパブリック・スクールでは、

《入試において面接や作文を重視しているが、これは個性重視の美名に隠れた、階級格差に基づく差別の温床であるということは、英国では前々から指摘されている。》
日本は、まるで100年以上前の英国のような教育システムを選ぶのか、と問う。
《戦前の高等文官試験の面接さえ、上流階級風の文化的バックグラウンドを要求した形跡はないというのに、21世紀の日本では、前世紀、いや19世紀風の英国パブリック・スクールのごとき選抜方法が、エリート教育の王道として復権しつつある。》
著者の矛先は、当然、日本の教育制度に向かい、文部科学省の「朝令暮改」を批判していて、少しの異論もないのだが、授業時間《削減の最大の理由は、週休二日制の徹底だ》と断じておられる点は、事実誤認なので指摘しておく。(2004年12月14日号「「週休2日制」は何をもたらしたか──PISAをめぐって(3))

だが、「思いつき」だけで「朝令暮改」に終始してきた文科省には、実はもっと深い魂胆があって、著者はつぎのような方向性をもって次世代の日本人を動かそうとしているのではないか、という。(それぞれの項目の後にカッコでつけてあるのは、斎藤貴男『機会不平等』で紹介されている、経済同友会の櫻井修(当時・住友信託銀行特別顧問)が説いている言葉だそうである。)

《(1)経済のグローバル化に対応できるエリート (ブリリアントな幹部要員、参謀本部)
 (2)専門分野に特化したスペシャリスト (マネジメントのプロと大量のスペシャリスト集団)
 (3)低賃金で雇える労働者 (あとはロボットと末端の労働力)》
これが、財界の求める《ネオ階級社会に対応するネオ三分岐システムなのだ》と著者は言う。
「勉強がキライな子どもは、無理に勉強しなくても、ソレナリのコースがあるよ」というわけで、これこそが英国の「階級社会」が持つ「機会不平等」のシステムだというのである。

どのような質の労働力が必要か、という基本方針は、それぞれに時代の産業界・財界からの要請を受けて「中央教育審議会」からの答申という形をとって文部(科学)省が、学習指導要領に盛り込んできた事実がある。
「学力低下」などと騒いではいるが、文科省が「本気で」何とかしようとしているかどうかは、「予算配分」を見れば分かる。
40人学級を抜本的に改革する計画などもなく、一定数の「落ちこぼし」を「つくろうとしている」のではないか、という著者の危惧は、十分な現実性を帯びている。

sinobiyoruneo

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斎藤貴男著(2004年・文春文庫) 〈内容〉 グローバリゼーション(=国際化・世界化)する社会を日本が生き抜くためには、国内でも“競争原理”を徹底する必要があるという主張がある。一見まともで、誰でも説得しうる気がするこの主張の危険性を説く一冊。 〈感...... [続きを読む]

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