内田樹vs釈徹宗live対談『現代霊性論』──(8)宗教者の異形
まず釈さんの法衣は「絽(ろ)」という夏用の織物で、透けて見えるので見た目は涼しげなのだが、かえって暑いものらしい。
首に懸けている帯状のものは、簡略版ではあるがやはり「袈裟」で、折り畳んでいるという体裁なのだそうだ。
(ここですかさず、内田さんからエクソシストのなかで神父がリーガンのゲロを受けるのに袈裟のようなもを使っていた、とツッコミ)
手にかけている数珠はロザリオ(ローマ教会の数珠)と同じ起源なのだそうで、こういうことは知っているようで知らない面白い話題だ。
釈さんの頭髪が剃髪であることへの質問が内田さんからいろいろと出て、浄土真宗は在家仏教なので剃髪でないほうがスタンダードとのこと。
頭髪というのは「生命力」の象徴のようなところがあり、宗教によっては人間の欲望をコントロールするために「切る」場合と、シーク教のように神から与えられたものを人間が処理してはならないと考える場合は、頭髪や爪を切らないで伸ばすのが普通なのだそうだ。
いずれの場合も、髪型によって「違いを際立たせる」狙いがある。
旧約聖書に登場する怪力の英雄サムソンが、怪力のもとである長髪を愛人デリラの裏切りで切られてしまうことで力を失う物語も、この頭髪の生命力がもとになっている、と内田さん。
釈さんによると、レゲエの長髪+ドレッドも宗教的な意味があるらしく、マリファナも瞑想のために必要な道具なのだそうだ。
現代の坊主頭やスキン・ヘッドは、ネオ・ナチにみられるような「力」や「攻撃性」の象徴になっているところがあり、スポーツの世界でも、高校野球、NBA、サッカー選手の中にも坊主頭にしている選手がいる。
マエフリついでに、内田さんが僧侶の会合に招かれて講演したときの話を。
会場に入ると正面に仏壇があったので、何もしないのもいけないかと合掌すると、それに合わせて会場の僧が一斉に合掌したことや、3時間半という講演時間は、僧侶の会合では普通であるらしいこと(にもかかわらず誰も居眠りしていなかった、と内田さん)や、講演者の話の合間に「南無阿弥陀仏」と唱えることを「受け念仏」ということなどを釈さんから教わった。
ちょうど歌舞伎役者が見得を切るところで「成駒屋!」と合いの手を入れると同じで、絶妙のタイミングで「受け念仏」が入ると話し手の調子も上がっていくのだそうだ。
「受け念仏」という言葉は、「ウケる」とか「ウケない」とか言うときの語源らしく、芸能用語には仏教用語が多いとの話も聞いた。
「前座」(まえざ、と読むらしい)という言葉も、仏教の法話からきていて、最初から難しい仏教の話では聴衆に入っていかないので、メインの語り手の前に、面白い話で聴衆をほぐしておく効果を狙って「前座」の役目があるらしい。
ともあれ、宗教者が「違いを際立たせる」目的で、頭髪を伸ばすことも剃ることも、特別なコスチューム・小道具を身にまとうことも、「外面によって規定される」という点で「儀礼」と同じ構造を持っているのだそうである。(続く)
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2006年6月8日号「内田樹vs釈徹宗live対談『現代霊性論』──(5)霊性と共振現象」
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