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2006年7月17日

内田樹vs名越康文live対談『これで日本は大丈夫 ?』──(1)大学生による凶悪事件

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7月14日の朝カル公開講座である。
お二人は『14歳の子を持つ親たちへ』(の打ち上げ)以来だそうで、内田さんのブログによると《私と名越先生がバーのカウンターでしゃべっているのを、聴衆のみなさんが横で聴いているというような構成》を狙ったらしく、そう言われれば長机に並んで座っての対談で、そんな雰囲気は出ていたような…。

精神科医・名越康文さんの意見を伺ってみたいと、内田さんが取り上げたのは、昨今の高校生や大学生による凶悪事件や家庭内での殺人事件のことだった。
東大阪大学の学生同士の殺し合いの事件では、女性を巡るトラブルから凄惨な殺人に至るまでのプロセスが如何にも単純で、最初は「言葉」から始まったであろう争いが、「言葉」によるコミュニケーションがお互いに成立していないのではないか、と名越さんはカウンセリングを通じた実感からそう見えるという。
「殺してやる」という「言葉」に多義的なニュアンスなどがなく、語義通りに「殺す」行為としか結びついていない言葉の貧しさがあるのではないか、と。

確かにそうだと思うが、やっぱり何か腑に落ちない。彼らは「一体何を考えてるんだ」と誰もが感じる。
ドクター名越は、「臨床のことは話にくい」と言いながら、秋田の殺人などについてもいくつかの考えを述べられたが、これはオフレコのほうがいいと思われるので書かない。

母親を金槌で殴り殺してパチンコに興じていた大学生も、奈良の医者の息子の高校生による放火殺人も、団地の階段で女性を刺した予備校生も、「殺人」という行為によって実現できる「瞬間」と、その行為によって閉ざされてしまう「未来」への時間意識が希薄で、普通に考えれば「間尺に合わない」はずの行為を選択しているのではないか、と内田さん。
過去に対しても、未来に対しても、無時間モデルが採用される背景にはビジネス・スタイルとしてのグローバリゼーションが影響しているのではないかという点でお二人の意見は一致したのだが、その話の前に、少し気になる点があったので、そのことを書いておく。

それは、内田さんが新聞記者から昨今の大学生の凶悪犯罪の背景について求められたコメントについてだ。
ひとことで言えば、「初等・中等教育ができていないのだから、大学生が幼稚なのは当たり前だ」という意味の内容だった。
乱暴すぎると思う第一の点は、その断定の根拠というのが、毎年ゼミ生の教育実習校へ挨拶を兼ねて授業参観に中学校や高校に行くらしいのだが、その時の「印象」が「立ち歩く」「後を向いて喋る」など、要するに「授業が成立していない」というのだ。
しかも、コメントを求めてきた新聞記者が「学校現場を知らない」という根拠にまでしていた。

聴衆の大半は「学校現場」のことなどご存知ないだろうから、内田センセイがそう仰るのだからきっとそうなのだろう、と受け取るだろう。
年に何回かは知らないが、なまじ「学校現場」を垣間見たと仰る内田さんの「証言」は、信憑性を持つことになる。
それは困るし、十把一絡げの大雑把な「印象批評」で単純な図式にまとめられてしまうのは、現実を見ないことに繋がる。
事態はそんな単純なことではありえない。
「荒れている」中学校や高校が現にあるだろうことを否定するつもりはない。
だが、そうではない学校も(私の現在の勤務校も含めて)たくさんあることも事実として勘定に入れておく必要がある。

乱暴すぎると思う第二の点は、そういう薄弱な根拠の上に立って「大学生がダメなのは、初等・中等教育がダメだからだ」という断定が本当かどうかということだ。
同じような論法は、実は中学校でも(おそらくは高校でも)しばしば使われることがあって、「小学校がダメだからだ」というものである。(最近はあまり流行らなくなったが…)
もっと面白い論法が小学校の側にもあって、「小学校の時はあんなに真面目だった子が、中学校に行ってから非行に走ったのは…」というのもある。
要するに、どちらの言い分も「他人に責任転嫁」しているにすぎない。
小学校の時に真面目だった生徒が、中学校に入学して「急に非行を始める」などということは普通ありえない。
「真面目だった」と小学校の担任が思い込んでいるのは、「子どもを見ていない」ということしか意味しない。
同じように、手を焼かせる生徒は別に小学校の時に「教育されなかった」せいなどでもあるはずがない。

もうだいぶ前から、「非行」を中学校のせいにする小学校教師はいなくなった。
「非行」が低年齢化して、小学校でも中学校と同じような問題が起きるようになって、「責任転嫁」できなくなったことと、なぜそんな問題が起きるのか、実感としても理解できるようになったからだろう。
同様に、中学校から高校に送った「中学校時代は真面目」な生徒たちの中にも「高校デビュー」する生徒たちはいる。
そんな事実を知っても、「高校の責任」などと思う教師はいない。

同様に、大学生の「非行」や幼児化は、高校の責任でもなければ、中学校の責任でも、小学校の責任でもあるはずがない。
それは、大学自身が直面し、解決すべき問題にすぎないのだ。
内田教授が「責任転嫁」を目論んでいるとは思わないが、「学校現場」を知らない聴衆に一知半解な物言いで誤解を招くようなことがあっては困るのである。(続く)

【関連記事】
2005年6月26日号「内田樹・名越康文『14歳の子を持つ親たちへ』

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