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2007年10月31日

香山リカ『老後がこわい』

Books

「老後」という言葉には思わず反応してしまう私であるが、この本を読むとビックリするような現実に目を開かれる。
1960年生まれの著者は、《2006年7月現在46歳》とのことで、《「自分の老後」など想像するのも恐ろしいのだが、この際、覚悟を決めて一度だけ考えてみる》(18ページ)ことにしてこの本を書いたという。
「こわい」「恐ろしい」というのは、情緒的な反応と受け取られるかもしれないが、実はそんなものではない。
著者自身がこれまで体験したさまざまなことがらについて述べながら、個人的な条件だけでなく「制度」や社会的な「差別構造」の問題までその「恐ろしさ」の本質に迫ろうとしている。

《35歳をすぎたあたりから、結婚披露宴に出る機会は減り、かわりに葬儀に出る機会が多くなる。》(「第1章 ひとり暮らしの友の死」8ページ)という書き出しには誰しも似たような感慨を持ったことがあるはずだが、《夫も子どももいなければ、かなり高齢の親かきょうだいが喪主をつとめることになる。そういった身内さえおらず、「もう何年も合ったことがなかったのですが」という遠戚が喪主、というケースもあった》(9ページ)という「シングルでひとり暮らし」だった友人のつらい葬儀の話が紹介される。
葬儀の席で、小さい子どものはしゃぐ声などがどれほど貴重であるか、先日聴いた釈徹宗さんと秋田光彦さんとの朝カル対談(お坊さんトーク『往生シネマ伝』)でも話題になっていた。
《私の葬儀では、誰が喪主になるのだろう》(9ページ)と、著者は考え込んでしまうのだ。

私がいちばんビックリしたのは、「一人暮らしの女性」にとって賃貸住宅に入ることさえ難しいらしい現実だ。
著者が都内の賃貸マンションを借りる手続きを済ませたあとになって不動産屋から電話がかかってきて、「勤務先の病院が埼玉県なのに、遠すぎないか」とか「ひとりで住むには家賃が高すぎないか」などと《余計なお世話ではないか》と思うことを言う。
半ば強引に入居したあと、今度はマンションの居住者組合の理事長から《ひとり暮らしにしてはポストに来る郵便物が多すぎる》とか《個人宅なのにファックスの回線を別に引くのはおかしい》といったクレームが寄せられ、《当時、勤務していた病院には週に三日ほど当直があったのだが、あげくのはては「夜も部屋に明かりがついていない日が多く外泊がちのようだが、当マンションとしては生活の乱れた人の入居は認めていない」とまで言われたことがあった。》(21ページ)という。

病院勤務の医師であることが分かっていても、「ひとり暮らしの女性」であるというだけで、こんなひどい目に遭うらしい。
そして、こういう腹立たしい現実が、シングル女性にとっては日常茶飯事のことらしいことを、私は知らなかった。
57歳の女性歯科医の場合も、単身で移った南伊豆でひとり暮らしの厳しさを思い知らされたといい、友人はできても、仕事や家探しとなると「シングルの女性では」と敬遠されてしまうのだという。(44ページ)

賃貸で「貸し渋り」をされるということになれば、どこに住めばいいのか。
「第2章 “終の棲家”は必要か」で、著者は「ひとり暮らしの女性」が安心して住むことのできる住居として何が考えられるのか模索する。
リゾートホテルと見紛う「高齢者用」と銘打ったマンションなどは、《入居一時金が2210万円〜7500万円、健康管理費が525万円。つまり入居時に最低でも3000万円近いお金がかかる》(32ページ)だけでなく、実際の生活費や医療費などがすべて含まれていないので《どう節約しても月20万円以上は必要だろう。65歳で入居してそれから20年、そこで健康なまま暮らすとしても、20万×12ヵ月×20年=4800万円。入居時の3000万円を加えると、なんとこのマンションで最低の生活をするだけで7800万円ものお金が必要、ということになる。》(32ページ)
それだけの資金を用意できる人間が、そんじょそこらにいるワケがない。しかも、「健康で」という最も重大でかつ難しい条件が前提である。
「有料老人ホーム」や「グループハウジング」の可能性などもいろいろな可能性を検討していくのだが、結局これという回答は見つけられない。
かといって「持ち家を買うしかない」と考えても、銀行が高齢者へのローンなど易々とするワケもない。
要するに「持ち家のない高齢のシングル女性」にとって、“終の棲家”は限りなく遠いものになっているということだ。

第10章で取り上げられている「遺品の整理」というテーマも、あまり考えたことのない問題である。
著者の診察室に、最近「自称・片づけられない女たち」が大勢訪れるらしい。
「片づけられないまま」死んでしまった場合はどうすればいいのか、という問いには「アウトソーシング(外注)」が基本だろうと著者は言う。
「キーパーズ」という遺品整理を専門にやってくれる業者があることを紹介してから、「友人たちの手を借りる」という(著者も実際に手伝ったことのある)方法も紹介している。
《「私にはそんなことをしてくれる人はいない」と思っていても、そういうときになれば必ず誰かが誰かを誘い、何人かが集まる。おかしな言い方に聞こえるかもしれないが、「故人の部屋に踏み込んで片づける」といったドラマティックな状況をけっこう人は好むものである。また、その手伝いをすることは「私もこんなに人の役に立てた。故人も天国でさぞ喜んでいるに違いない」という思いをもたらし、それは自尊心の回復におおいに役立つ。そのことを直感的に見抜く人は、自ら進んで「お手伝いさせて」と申し出てくるだろう。「“片づけられない女”のまま死ぬこと」が、思わぬ形で人の役に立つことだってあるのだ。》(160ページ)
なるほど。確かにそうかもしれない。

制度として破綻した「年金」の問題、介護の問題(“負け犬介護地獄”と著者は呼ぶ)、親の死、ペットの死、そして自分の葬儀をどうするかという問題まで、とりわけ「高齢シングル女性」の直面するさまざまな状況を、著者は一つ一つ自分に引き寄せて取り上げている。
しかし、著者が「シングル女性」にとっての問題として取り上げているさまざまな困難は、実は「シングル女性」に固有の問題ではない。
一般的に「シングル」という言葉は、「結婚を選択しなかった」人をさすことが多いが、(山口文憲が書いていたように)実際には「結婚後」パートナーと「離婚」したり「死別」したりして「シングル」になる場合もある(増えている)わけで、遅かれ早かれ多くの人々がいつかは「シングル高齢者」になる。とすれば、著者が取り上げている問題の多くは、大半の人々にとって「明日は我が身」なのである。

著者は《福祉国家体制が少しずつ崩されようとしている》(186ページ)社会のなかで、憲法で保障されているはずの「生存権」さえ脅かされているのではないかと論じ、釜ケ崎で活動しているカトリック神父・本田哲郎の言葉を引用している。
《わたしたちは、さまざまな社会問題に直面しつつ生きています。
  部落差別、在日朝鮮の人たちへの差別、国内少数者への差別、貧しい国からの外国人労働者差別、障害者差別、性同一性障害の人たちへの差別、女性差別、高齢・若年者軽視、日雇い労働者・野宿者差別……。
  こうした社会的問題は、失職、借金地獄、アルコール・薬物依存、家庭内暴力(DV)、家庭崩壊、幼児虐待、いじめ、野宿者襲撃、自死やのたれ死になど、より弱い立場の人々へのしわよせという形で顕在化しています。》(『釜ケ崎と福音』岩波書店、2006)(187ページ)

これらの言葉をふまえて、著者は「あとがきに代えて──愛する人がいる人生もいない人生も」をこう締めくくっている。
《「勝ち組」と「負け組」との峻別をよしとし、格差や差別もやむなしとする世の中では、「女性」であり「高齢者」であることはそれだけで二重の差別の対象になる可能性がある、ということがわかる。つまり私たちは、「弱者が気の毒だから」といった高みの見物的な慈善スピリットでではなく、差別される側として、世の中の動きをしっかりと見つめていかなければならないということだ。》(188ページ)

Rougogakowai

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コメント

はじめまして。偶然でしたが通りすがりです。
私はシングルではありませんが、この本、読んでみたいと思いました。
老後の前にまだまだすること、沢山ありますけども、一日一日を大切に過ごしたいなと思います。

投稿: えつりん。 | 2009年6月20日 20:49

はじめまして。
偶然たどりつきました。足跡残します。よい記事だなあと思いました。

投稿: えつりん。 | 2009年6月20日 20:50

えつりん。さん>コメント有り難うございました。
誰もが避けて通れない「老い」の問題に、独特のアプローチを試みていると思います。
ご一読をお勧めします。

投稿: KAZE | 2009年7月 1日 11:49

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