舞鶴の高校1年生殺害容疑で、60歳の男性逮捕
4月7日、舞鶴で起きた高校1年の女生徒殺害事件容疑者として服役中の男性60歳が逮捕された。
事件が起きたのは2008年5月のことなので、1年近くも経ってからの逮捕である。
昨年11月に6日間にも及ぶ家宅捜索が行われ、約2000点もの押収品から物証は見つからなかったにもかかわらず、である。
防犯カメラの映像が最も有力な状況証拠らしいが、テレビで見る限りはおよそ不鮮明な画像から本当に決定的な決め手が出てくるのか。
本当に決定的な決め手になるのなら、なぜ画像解析に1年近くもかかったのか。
要するに、決め手としては弱すぎるので使えなかっただけではないのか。
こうした構造は、典型的な「見込み捜査」、冤罪事件に共通したパターンのように思えるのだが、果たしてどうなのか。
記者会見で捜査一課長は「ノー・コメント」を25回も繰り返した、と報道されていて、一体何のための記者会見なのかよく分からない。
「物証はないということか」という記者の質問に対しても、「捜査に影響があるのでコメントを差し控えたい」と答えていた。
いろいろな意見が、新聞でもワイドショーでも飛び交っている。
それよりも問題なのは、「逮捕された」=「犯人」という立場をNHKだけでなくマスコミ全体がいつものようにとっていることだ。
顔を写した映像も名前も、全部「当然のように」連日報道されている。
マスコミはいつから裁判官になったんだ?
懲りない連中である。
逮捕された無職の男の前歴もマスコミを通じて初めて知ったが、「こいつならやりかねない」と誰でも思わされるだろう。
前歴があるから「犯人」に間違いないのか。
もし仮に真犯人ではなかったら、マスコミはどうやって責任を取るつもりなのだろう。
今日のニュースでは、殺された被害者と「面識があったかどうか」になぜか意味ありげにこだわっていた。
「面識があったかどうか」と、殺人事件とどういう関係があるのか。
「面識があった」場合は「より怪しく」、「面識がなかった」場合は「それほど怪しくない」という理屈なのか。
殺人事件が「顔見知り」であったかどうかと関係などあるはずがない。
すべての殺人事件は、「顔見知り」か「顔見知りでない」か、そのどちらかに決まっている。
警察の捜査では、「面識があった」ことを裏付ける証言はなかったらしい。
その後がひどい。「容疑者は偶然に被害者と出会ったと考えられる」と、NHKはまるでもう「犯人に決まってる」と言わんばかりである。
繰り返すが、殺人事件と「顔見知りかどうか」とは何の関係もあるはずがない。
家が近所だったということから、状況証拠の一つとして「面識」があったことを裏付けたかったのだろう。
こんな無関係なことを意味ありげにマスコミに流すこと自体、「物証」がないことを物語っているのかもしれない。
「新たな目撃証言」という言葉もしばしば登場する。
事件は2008年5月7日に起きた。約11カ月も前の事件について「新たな目撃証言」とは何なのか。
普通に考えれば、1年近くも経ったあとの「新たな目撃証言」などということ自体が胡散臭い。
しかし、マスコミは少しも変だとは思わないらしい。
目撃者が「そう言えば…」と忘れていたことを1年ぶりに思い出したのか?
時間が経てばたつほど人間の記憶は曖昧になり、忘れてしまうことが多くなるというのに、なぜ1年近くも経ってから「新たな目撃証言」なのか。
はっきりと記憶していた目撃者が、何らかの理由でこれまで隠していたとでもいうのか?
私に考えられることは一つしかない。
ほとんど記憶からも消え去ってしまった事柄について、「こういう状況で、こんな服装の人物ではなかったか」と捜査官に尋ねられて、「そう言われてみれば、そうだったかもしれない」というような答えを「新たな目撃証言」と呼んでいるのではないのか。
自分のブログで書いた事件なのでたまたまよく覚えているのだが(2007年5月3日号)、2007年4月5日に川崎市で起きた通り魔事件で26歳の男性が容疑者として逮捕された。
私が見落としている可能性もないとは言えないが、その後この男性が起訴されて裁判になっているという報道はあったのか。
少なくともマスコミは、「犯人扱い」した人物のその後の取り調べについて、ちゃんとした追跡報道をする責任があるのではないか。
それとも、捜査当局の「発表」と「リーク」を垂れ流す「広報機関」としての役割に徹しているのか。
裁判員制度が始まる前に挙げておきたかったのでは、というコメントもしばしば聞いたが、どういう意味なのか。
物証のない裁判で有罪にするためには、裁判員がいないうちのほうがやりやすいということだろうか。
これから「自供」を引き出すための取り調べが始まるのだろう。
物証がなく、状況証拠だけならなおのこと「自供」に頼るしかあるまい。
取り調べの「可視化」なども無視した密室で、またまた冤罪の温床が活躍することになる。
松本サリン事件で、被害者の河野さんを犯人扱いした報道でマスコミは懲りたのではなかったのか。
警察発表を鵜呑みにしてそのまま「垂れ流す」しか能がなく、過去の失敗から何も学ばないマスコミの体質とは何なのか。
容疑者の有罪が決まるのは、三審制度の裁判所で確定した時であって、逮捕・起訴された時ではない。
こんな単純で当たり前のことを、マスコミはなぜ蔑ろにするのか。
「推定無罪」の原則は、裁判所のルールである前に、本来マスコミが監視すべき大原則ではないのか。
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