映画『ビヨンドtheシー〜夢見るように歌えば』
ボビー・ダーリンという歌手の伝記映画であるが、この往年の人気歌手の名前を知っているのはある年齢以上の人か、アメリカン・ポップスに詳しい人だけかもしれない。
私自身、彼の歌う『Mack the knife』という曲が大好きなのだが、それ以外のことはこの映画を観るまで何も知らなかった。
それにしても、この邦題の奇怪なテキトーさはどうしたことか。
原題の『Beyond the sea』というのはよく知られた曲のタイトルであることはすぐ分かるのだが、なぜtheだけがアルファベットなのか、なぜこんな変な副題をつけるのか、意味不明である。
だが、ケビン・スペイシーがボビーを演じるというのも「想像のつかない」事態だったので、いわば「怖いもの見たさ」(?)という理由もあって観てみた。
なぜケビン・スペイシーなのか、という疑問は結局見終わってもよく分からなかったが、エンディング・ロールで監督ケビン・スペイシーと出てきたのでやっと分かった。たぶん、どうしても自分でやりたかったのだろう、と。
つまり、彼はボビー・ダーリンがとても好きなのだろうと解釈した。
それに、よくよく見ればボビーに似ていなくもない。
観る前はボビーの声にクチパクでケビンが歌うのだろうと想像していたが、声はボビーとは違うので、恐らくケビンの声なのだろう。
全編で多くのボビーの歌が歌われるが、すべてケビンが歌っているとすれば、これは大したものだ。
歌だけでなく、踊りも堂に入っていてなかなか上手い。
『セブン』や『ユージュアル・サスペクト』で知っているケビンとは似ても似つかない、別人のようなケビンである。
そう考えると、自分の監督作品で自分が主演してでも演じたかったボビー、なかばミュージカル仕立てのこの映画は、彼がやってみたかった映画であるに違いない。
映画の冒頭から『Mack the knife』で始まったのはご機嫌だったが、この映画はボビー自身が子供時代からの自分の伝記映画を撮影する、という劇中劇のような仕掛けになっている。
自分の子供時代を演じる子役が、いわば狂言回しの役割を演じていて、その子役の登場でせっかくの歌は中断される。
どこかで全曲聴かせてくれるのだろうと期待していたが、結局最後まで歌われることはなかった。
(YouTubeに『Mack the knife』を歌っているボビーの映像がたくさんあったが、動く画像のないこの歌がいちばん私好みだった。)
『Mack the knife』は多くの歌手が歌っているが、ボビーに敵う相手はいない、と私は思う。
サッチモも、エラおばさんも素敵だけれど、御大シナトラといえども、この曲に関する限りボビーのほうに軍配があがる(と、私は思う)。
ボビーの「軽さ」と「ノリ」は、きっと天性のもので、この曲にピッタリ合っているのだろう。
『Mack the knife』という歌にはやたら個人の名前が出てくるし、ずいぶん物騒な歌詞なのはどうしてだろうと思っていた。
調べてみると、ブレヒトが書いた『三文オペラ』という音楽劇のなかで歌われている曲であることを初めて知って納得した。
ボビーがサンドラ・デイと結婚していたことも、この映画で初めて知った。
映画のなかでトロイ・ドナヒューの名前が出てきたのも懐かしかった。私が観たのは『避暑地の出来事』だったかな。
(映画よりもパーシー・フェイスの主題曲のほうがきっとよく知られていることだろう。)
出自の秘密を知ったことからボビーの運命は大きく変わっていくのだが、彼がベトナム戦争に反対するプロテストソングを歌っていたことも知らなかったし、ロバート・ケネディーに熱い思い入れがあったことや、結局、60年代に入って彼の歌が「懐メロ」の仲間入りをしてしまったことへの失望が描かれているのも、そうだったのかと初めて知る。
子どもの時のリューマチ熱で15歳までは生きられないだろうと宣告されたことや、それが原因で心臓疾患に悩まされていたこと、結局それが原因で37歳の若さで手術中に亡くなったことなども初めて知った。
こういう伝記映画にはさまざまな制約もあろうし、すべて本当のことかどうか分からないし、描いていないこともあるのではないかとか、難しいことだと思う。
だから映画としての出来映えは二の次にして、ケビン・スペイシー御贔屓の方と、ボビー・ダーリンが好きな方にはお勧めできる。
| 固定リンク














コメント