紫綬褒章
GW中の4月29日は、春の叙勲だそうである。
叙勲などに縁もなければ興味もなかったのだが、朝カルのリーフレットで敬愛する鷲田清一が(何年前か知らないが)「紫綬褒章」を受賞していることを知り、その後これまた敬愛する池澤夏樹が「紫綬褒章」を受け取っていることも知って、なぜかひどくガッカリした。
慶賀すべきだという人もいるだろうが(祝賀パーティぐらいは催していそうだ)、彼らが褒章を(嬉々としてかどうかは知らないが、断ってはいないのだから嫌々というわけではないだろう)受け取っていることが意外だった。
とはいえ、「褒章制度」なるものについて私は何も知っていたわけではないし、未だによく分からないこともある。
Wikipediaによれば──
《褒章は、1881年(明治14年)12月、褒章条例(明治14年太政官布告第63号)により制定された。当初は、紅綬褒章、緑綬褒章、藍綬褒章の3種であった。以後、1887年(明治20年)に黄綬褒章(現行のものとは異なる。[1]戦後廃止。)1918年(大正7年)に紺綬褒章が制定された。さらに1955年(昭和30年)、黄綬褒章と紫綬褒章が制定され、現在に至っている。2003年(平成15年)の栄典制度改革では、褒章の受章要件を緩和し、受賞対象を広げた。
勲章は、長年にわたる功績を対象とする側面が強く、人命救助のように一過性であっても功績顕著な行いは、叙勲の対象となりにくい。これに対して褒章は、勲章(叙勲)の対象とはなりにくいが、顕著な功績と認められるものに対して授与される。》
「勲章」と「褒章」にもランクの違いがあり、当然「選ばれる者」の数は「勲章」のほうがはるかに少ないのだろう。
いずれにせよ、明治政権下でスタートしたこと、最初は3種類だったのが、後から3つが新設されて、現在は6つあるということらしい。
それぞれに顕彰される分野が決まっているようだが、「紫綬褒章」の場合は──
《1955年の栄典制度改正により新設された。同年、創作舞踏の第一人者であった石井漠が受章第1号となっている。以後、毎年50~100人が受章している。2003年の栄典制度改正では、「年齢制限を撤廃し、科学技術分野における発明・発見や、学術及びスポーツ・芸術分野における優れた業績等に対して、速やかに表彰する」こととされた。受章者は、学者、活動歴の長い芸能人(役者、俳優、歌手など)、芸術家(作家、作曲家など)、スポーツ選手が多い。オリンピックで優秀な成績をおさめた者(メダリストやその種目における日本初の入賞者)へ授与されるのもこの褒章である。》(Wikipedia)
今回の紫綬褒章の中には、、WBCの日本チームも(前回2006年春に引き続いて)含まれているのはそのせいだろう。
「勲章」にせよ、「褒章」にせよ、誰が授与するのか。
言うまでもなく、「天皇」が内閣の助言と承認による国事行為として授与する。
「春の叙勲」が4月29日に行われ、「秋の叙勲」が11月3日に行われるのは、それぞれ昭和天皇と明治天皇の誕生日だからに他ならない。
(因みに、日本の祝祭日の大半は皇室の宗教儀式などの日に定められている。)
1881年の太政官布告の形式が、この制度でもそのまま生き続けているということだ。
「褒章」を喜んで受け取ろうと嫌々受け取ろうと本人の勝手だし、私の口出しすべきことでもあるまい。
他にも何人かの「学者」や「作家」が受け取っていることも知ったが、鷲田・池澤両氏が「天皇からお褒めのメダルを下賜される」ことは、彼らがこれまで言ってきたことと何も矛盾しないのか。
それはそれ、これはこれ──という訳なのか。
一度尋ねてみたいものだ。
「顕彰」と「処罰」が支配の要諦である、と言ったのは高橋和巳だったか。要するに「アメ」と「ムチ」。
高橋のことなので、いずれは荀子や韓非子などが出典なのであろうが、民衆をして最も怖れさせるのは「なぜ罰せられるのか分からない」支配だと続いていたように記憶する。
「なぜ褒められるのか分からない」「なぜ罰せれるのか分からない」これほど恐ろしい支配は確かにあるまい。
要するに、「罰せられる」ことにも「褒められる」ことにも警戒せよ、と言っているのだろう。
「罰せられる」ことには抵抗できても、「褒められる」ことに抵抗するのは非常に難しい。
そこに陥穽がある。
受賞者を実際に「選んでいる」のは、もちろん天皇ではなくて日本政府の官僚たちであろう。
国家権力の中枢にいる連中がばらまく「アメ」の中にはどんな魂胆が隠されているのか。
それぐらいのことに思い至らない両氏ではあるまいと勝手に思い込んでいたせいで、ひどく失望したのである。
【関連記事】
2006年11月12日号「鷲田清一『老いの空白』」
2006年1月20日号「『北の零年』」
| 固定リンク













コメント