卒業から5年目の同窓会
クラス全体は、女子20人・男子14人の計34人のクラスだった。
そのうちこの日参加したのが、女子14人・男子6人の計20人だった。
大雑把な印象では、大学生が半分、社会人(少数のフリーターも含めて)が半分という感じである。
そのうちの何人かは私が勤務していた頃に訪ねてきていたが、大半は5年ぶりの再会だった。
20歳の成人といっても多少背が伸びて、ひねた印象もあった(当たり前だ)が、中学生のときの印象と大して差はない。
というよりも中学生に戻ってしまうのだろう。懐かしい顔ぶれだった。
不登校で何度となく家庭訪問をしたK世も、美術系の大学に通っていると聞いて安心した。
養護学校へ進んだTに逢えるのを楽しみにしていたのだが、幹事に訊くと行かないとの返事だったらしく残念だった。
親を交えての進路相談や、本人との進路相談など、大変やったなーと記憶がよみがえってくる。
今回の同窓会の功労者は、何といっても卒業時の男女クラス委員をしていたYとY美の二人である。
往復ハガキを出したり、会場を探したりも大変だっただろうが、ビンゴや景品まで買い揃えてくれていて感心した。
34人のクラスで、20人も集まれば上出来だろう。
その幹事としての労を多としたいYは、高校卒業後私鉄の車掌をしているらしく、聞くとなかなか大変そうだったが、責任感の強い男なのでしっかりやっていくことだろう。
車掌の乗務経験が何年かあってようやく運転手の試験が受けられる、というシステムも彼から聞いて初めて知った。当然、運転手を目指しているそうだ。
私の顔を見て「先生、全然変わってないナ」と教え子たちは口を揃えて言っていたが、私としては手術から1年余り経ったとはいえ、多少は病み上がりの印象もあるのではないかと思っていたが、病気のことをまだ知らなかった彼らが言うのだからまんざら気休めというわけでもなかろう。
中学校時代からモトクロスのレーサーだったT寿は、その後いくつかのレースで優勝し、現在は国際A級ライセンスを持つレーサーなのだという。
中学生の時も、何度かレース中の事故で骨折していたのを思い出した。
身体があまり大きくなっていなかったので、レースでは不利ではないかと尋ねるとやはりある程度の体重がないと不利らしい。
飲み放題・食い放題の居酒屋だったので、全員と話をするのは無理だったが、彼らの会話を聞いていると笑ってしまう。特に、率直な恋愛談義が傑作。
「二人でいるのを見かけた」と女子連中からツッコまれた男子が、その女性とどんな経過で別れることになったかを説明したりとか…。
酒もタバコも法律的には問題ない年齢の彼らだが、喫煙しているのは男女それぞれ1人ずつだけで「意外と少ないなー」と彼らも同感していた。
遅れてきたS希(心斎橋のアパレル店で働いているという女子)が喫煙者だったので、計3人になったがそれでも思ったよりも少ない。
二次会は近くのカラオケ。この時点で夜の10時だったので、半分近くは帰宅。校区は駅前から歩いても遠くない距離なので、大して心配はしなかった。
彼らが歌う最近の歌は、まったく聞いたこともない曲ばかり。
それは当然なのだが、モー娘。だの、アンガールズだの、とんねるずだの、コミックソングのオンパレード。
ただ単にやかましいだけなのと、居酒屋では店が広くで気にならなかったタバコが、カラオケ・ボックスの狭い密室では(たった3人だけなのに)耐えられない。
まあ、1時間くらいは我慢して付き合うことにしたが、苦行であった。
それにしても、これは最近になって思ったことではないのだが、近頃の若者向け流行歌はなぜあんなにも音楽性が貧弱なのだろう。
確かに私が「ついていけない」というギャップで説明できるところもあるだろう。
だが、それだけではないような気がする。
私は音楽のジャンルにさほど好き嫌いはないし、個人的にあまり好みではなくても「いい曲」だと認めることにもやぶさかではない。
その私からみても、若者向けの音楽が「衰退」しているのではないか、と思えて仕方がない。
「11時に出ないとバスがなくなる」と(本当はもっと遅くまであるのだが)、卒業生たちには宣告しておいた。
何か歌ってくれ、と言う。『いとしのエリー』というリクエストもあったが、おそらく修学旅行のバスで歌ったのだろう。
修学旅行のバスでは、これが最後の修学旅行だといういくらかセンチメンタルな気分だったせいだろうが、マイクを離さず歌ったのを覚えている。
彼らに「憶えてるか?」と訊くと、「寝てた」というツレナイ返事。
1曲だけ歌って帰ることにして、『いとしのエリー』もいいけど…、と考えた。
演歌からジャズまでレパートリーだけは広い(?)ので、この際賑やかにチャック・ベリーのロックンロールで決めてやろうかとも思ったのだがしばらく歌ってなかったので、結局、井上陽水の『ジェラシー』にした。
さて、そろそろ帰ろうかと思っていると、心斎橋アパレルのS希が『天城越え』を歌い出した。
思わず「うまい!」と言ってしまった。相当演歌を歌い込んでいるらしく、聞き惚れるほど。
だいたいこういう曲を選ぶのは自信のある証拠に違いない。
訳の分からない爆音とタバコに辟易していた私にとって、最後に少し口直しができた感じだ。
みんなに別れの挨拶をしていると、幹事のYが「みんなから先生に渡すものがあります」と言ってプレゼントを渡された。
分厚い2枚のガラスをL字型の木枠で挟むフォト・スタンドである。こんなものまで用意してくれていたのか。
まったく、もう、愛(う)いヤツラではないか。アリガトー(T_T)
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コメント
はじめまして。1つ質問があります。
>>近頃の若者向け流行歌は音楽性が貧弱
音楽性とはどういうものなのでしょうか?
私もジャンルで好き嫌いをしたおぼえがありません(声が性に合わないなどは別)。そんな中でお年寄りの方が、「最近の歌はわからん」と言っているのをよく耳にします。
お年寄りの発言と、この記事の音楽性云々が同じ内容だとは思いませんが、結局のところ若者な私は、昔と最近でそんなに違うのか? と悩んでいます。これに対する何かしらの考えを持っているイメージを受けましたので、よろしければ返答お願いします。
以下、私の考え
音楽性が弱い、というより、音楽の方向が変わった、と思っています。演歌ならこぶしを効かせた歌い方で一言一言を大事に語る。最近のならフレーズ単位で畳み掛けるように語る。ただこれは、歌い方や歌詞という視点であって、音楽性とは違うかもしれないとも思ってます。
最近の歌、昔の歌がたいへん曖昧で申し訳ありません。歌は好きでも、詳しくないので書き方が判りませんでした。
投稿: 正面戦士 | 2009年6月29日 14:15
正面戦士さん>興味深いご質問ですね。でも、答えるのが難しいご質問でもあります。
「歌は世につれ、世は歌につれ」という言葉がありますが、歌がその時代を映していることは確かでしょうね。
ですから、「音楽の方向が変わった」というご指摘は、常にそういうものなのだろうと思います。
ビートルズが登場した時「ただやかましいだけ」と評価されていた時期もあったそうですから、それが「新しさ」だったのでしょう。
いまや彼らの音楽性の「新しさ」を認めない人は少ないはずですね。「音楽の方向が変わる」というのはそういうことだと思います。
ご質問の一点目は、昨今の若者向けの流行歌がビートルズが切り拓いたような「新しさ」を持っていて、やがて「音楽の方向を変える」ようなパワーを兼ね備えているかどうか、ということですね。私にはとてもそうは思えませんが、この点は私の予想が間違っているかもしれません。
私が学生だった頃、ベトナム戦争が泥沼化していて、アメリカでも日本でもメッセージ性の強いプロテストソングが自分の気持ちにピッタリきていました。
その後のニューミュージックと総称されるシンガーたちの歌う身も蓋もないほどのトリビアリズムには、最初ゲンナリしましたが、それが時代の鏡だったのでしょう。
サザンの桑田佳祐の歌は、ちょっと聴いただけでは「何を言ってるのか分からない」、とても日本語とも思えない歌詞が「新鮮」でした。
よく聴くとかなり際どい内容もあったのですが、どちらかと言えばリズムとノリだけで引っ張っていく面白さが微妙なバランスを生み出しているように思います。
「歌詞」と「メロディー」という二つの要素が、乖離し始めた危うさが「新しさ」だったのではないでしょうか。
ご質問の二点目にお答えしたことになっているかどうか分かりませんが、私が衰退と感じるのは主に「メロディー」の音楽性だと思います。
10年後、20年後に今の若者たちが、(例えばビートルズのメロディーを口ずさむように)現在の流行歌が「音楽の方向を変えた」と思えるかどうかですね。
投稿: KAZE | 2009年7月 1日 12:18